そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

【ネタバレあり】映画『ジョーカー』ムカつくやつらがだいたい死ぬ多幸感

映画『ジョーカー』を見てきた。前評判で見聞きした陰鬱さや暗さよりも、後半のカタルシスが気持ちのよい痛快な映画だった。

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(※ネタバレを気にしないで書く)

 

そもそも、僕はバッドマンシリーズ自体を全く知らない。実写映画もほとんど見ない。
直近で劇場で見た実写映画は、『山田孝之3D』と『ライ麦畑の反逆児』だけである。あと、『ハナレイ・ベイ』も見たっけな。あれはイマイチだったな。

興味を持った理由は、単純にこのツイートが良かったから。

僕はこういうやさぐれた人々が狂気に落ちていく作品が好きです。

で、実際に見てみたらどうだったか。


いや、むしろなんかハッピーな映画だったと思うんですよね。
だって、「こんなやつ死んだらええねん!」って思うような奴ら、だいたい全員死ぬじゃないですか。 
で、ゴッサムシティ、小学生がプレイするシムシティみたいなハチャメチャ感でしょ。ストライキ!市の福祉施設閉鎖!嘘ばかりの市長候補!スーパーラット!そりゃこんなんどうしようもないやんけ、となってしまうでしょ。しゃーない。誰も悪くない。街が悪い。
誰も悪くない以上、あとは主役であるアーサーがただただ狂っていくところをワクワクしながら見守るしかない。他人の不幸は蜜の味である。現実の人間の不幸を楽しむのは悪趣味だが、映画は虚構だから純粋に不幸を楽しむことができる。人の不幸でメシが三倍食える。食欲が出てくるのはよいことである。
「いつ、なぜジョーカーになってしまったか」を見届ける映画であることは明らかなのだから、あとはジョーカーになるタイミングを思いっきり楽しむしかないわけだ。


全編を通じて陰鬱な映像ではあるものの、じわじわと道を踏み外すように犯していくアーサーの殺人自体が、ある種の謎解き的な小さなカタルシスがあった。
まずあのウォールストリートガイたち、全員死んでいいでしょ。ああいう電車で酔ってウザ絡みするサラリーマン集団、アメリカにもいるんやな。アーサー、なんかリボルバーなのにめっちゃ打ちまくってたけども。どこまでがホンマか分からなくなるけども。

続いて、アーサーが手にかけるのが育ての親である。
アーサー自体が信頼できない語り手であり、このシーンに至るまでは母親、「父親らしき人物」との確執と、何度も何度も頭を揺さぶられるような展開が続く。だから、観客の目線で見れば、この母親に関しては憎むに憎めない人物ではある。カルテという客観性のある証拠はあるものの、精神疾患のシングル家庭が養子を引き取れるもんなのだろうか。母親の歪みと、アーサーの歪みが相互に噛み合って、何が正しいのかがわからなくなる。でもまあ、アーサーを不幸にする人だからね。殺されちゃうよね。そういうものだ。

そのあと、励ますという口実でやってきた銃を渡した元同僚もばっちり殺されてしまう。そういうものだ。このシーンはちょっとグロかったから目をつぶっちゃった。血、苦手なんですよね。マシュマロを噛むシーンとかに差し替えてくれないかな。この同僚についても、アーサーとの間では利害関係も相まって微妙にお互いの認識が食い違っている。でも、まあコイツが銃を渡さなければ、アーサーが失職することも無かっただろう。そもそも善意で他人に銃を渡すもんなのだろうか。
で、このシーンで明らかになるけど、少なくともアーサーに対して理不尽に振舞わない人々は殺されないんですよね。それは、このシーンでの小人の人もそうだし、妄想の恋仲だったソフィーもそう。このソフィーも、スクリーンから眺めている我々からしたら、ずっと不気味な存在(だって、尾行する人を好きになることって無いだろう)だっただけに、妄想だと分かったシーンはスッキリしたよね。カタルシスだ、カタルシス。

そんな小さなカタルシスを繰り返して、やってくるこの映画最高のカタルシス。いやー、待ってましたって感じ。ジョーカーとしての彼がTVショーに登場し、自分の正体を明かし、そんでもってムカつく司会者の頭をしっかりと吹っ飛ばす。カタルシスですよ、カタルシス、こんなときじゃないとあんまり使わない単語だから、使いまくりたいよな。
人々が映像に感化されて暴徒と化す。ジョーカーを連行するパトカーには救急車が突っ込んでくる。ムカつく警察官は死ぬ。そういうものだ。そして、ムカつく市長候補もピエロの集団に銃殺されてしまう。ヒュウ!そういうものだ。あの子供、絶対バットマンになるんだろうなー、って思ってたら、本当にバットマンになるんですね。関係ないけど、バットマンのマークって福砂屋のロゴに似てるよね。
終盤のこの一連の流れは、ピエロの仮面をかぶった人々によって引き起こされる。
人々は言うまでもなく、この「街」の「人々」である。ピエロが運転する救急車は「街」のセーフティネットだし、ムカつく市長候補も、ジョーカーではなく「誰でもないピエロ」によって殺される。この一連の流れ自体が、ジョーカーが特別な存在なのではないことを裏付ける感じがある。なんっつーか、街が牙をむいている感じというか。

で、この映画ってオチもすごく丁寧な気がするんですよね。アーサーが精神病棟に居るシーン。
これって、ちゃんと「これは全部妄想かもね!よかったね-!」と観客を現実社会に戻す配慮じゃん。めちゃくちゃ娯楽的な映画じゃないですか。


いや、もちろん暗い映画だったとは思う。
弦楽器をフューチャーした劇伴は映像に合って陰鬱だし、映像はストーリーに合わせた演出で構図をバッチバチにキメたダーティなテイストだし。
やたらと、車窓越しのシーンを多用するじゃないですか。終盤の、ぶっ壊れた街を見るジョーカーのシーンが印象的だけど、それまでもたくさん使われるあの車窓、ガラス越しのシーン。アーサーが使う公共交通機関は、いつだって自分と他人をごっちゃに運んでいくものなんだなあと。そういや、アーサーがピエロのメイクをしているときにも、いつも鏡があるんだよね。
こういう映像の意図、先日『Filmmaker's eye』という本を読んだので、ちょっと注目して見た。教養の無さを思い知ったわけだが。もっと詳しい人の解説を読んでみたい。

 

Filmmaker's Eye -映画のシーンに学ぶ構図と撮影術:原則とその破り方-

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いや、マジで映像良かったな。普段実写を全然見ないのでよくわかんないんだけど、実写映画の映像ってこんなにカッコいいの?もっと実写映画を見たくなる。

 

前評判で「疲れているときに見ると引っ張られる」「社会情勢を反映した陰鬱な映画」というような意見を散見したが、そこまででもなかった。
むしろ、明らかな虚構・娯楽とするための設定や見せ方へのこだわりが強くないですか。
舞台となるゴッサムシティが、小学生のプレイするシムシティのようなハチャメチャ感であることもそうだし、テレビ局から電話がかかってくる終盤の展開もそう。
だいいち、現実に生きる僕たちの人生は、映画ほどドラマチックでもなければ悲劇的でもない。ただただ、狂人と凡人のはざまでくすぶりながら、境界線を越えられずに過ごすばかりじゃないですか。
ただ、全体を通じてみたら明らかな娯楽なんだけど、アーサーが狂っていく過程で遭遇する理不尽、妄想をひとつひとつ切り取ってみたとき、そこには決して笑えない悲痛な側面がある。

「ピエロの笑いのほとんどは、玉乗りで転んだときのように、受け手の目線よりも下になったときに成立する。そして、ピエロは同じ間違いを何度も繰り返して、人々を安心させる」
といった趣旨のことを、さだまさしが「道化師のソネット」のライナーノーツで書いていた。
『ジョーカー』の主人公であるアーサーが笑いを獲得するシーンは、その全てがそういう「ピエロ」の笑いである。そして、その全てが、アーサーの意図しないところで生まれるものである。
疲れている人が見ると、引っ張られるのは、おそらくそういう部分ではないか。

 

全体を通じて、「入り口」と「出口」がある礼儀正しい娯楽作品だと思った。
ただ、個人的に怖かったのは、なんかこの映画が社会派扱いされている点にある。
「この映画を見て影響される人がいるに違いない」と考える人たちが、僕たちの周りにはわりとたくさんいることである。
それは言い換えれば、「少なくとも自分は虚構と現実の区別がついている」と自己分析できる人たちでもある。
その自信と、他者との間に安易に境界線を引く姿勢が、僕には少し息苦しい。そのくせに、「影響される人がいる」と考えること自体が、すでに虚構と現実を混同する行為ではないかとも思う。
こういう映画が与える影響を想像する社会というのは、いささか息苦しいと思う。
そういうことを語るための感想文じゃないから、ここでは言葉を尽くすことはしないが。疲れてきたし。

 

 

それにしても、ワーナーブラザーズの公式サイト、爆裂に酷いな。

wwws.warnerbros.co.jp