無人島に何を持っていくかの議論のことを、無人島問題と呼ぶらしい。
この不毛な命題に付き合わされた経験は、割とみんな持っているんじゃないか。
「無人島に持っていくとしたら何を選ぶか?」
この質問には、
「架空の限界状態について問うことで、回答者の価値観や判断基準をあぶり出す」
という意図が込められていると考えられている。不毛だ。
だいいち無人島問題が話題になるシチュエーションがそもそも不毛だ。
つまらない雑誌のインタビューコーナーか、つまらないブログのネタ埋めか、共通の話題がないつまらない人間との会話くらいでしか見たことがない。
じゃあなんでこの無人島問題は不毛な話題に感じるんだろう。
まず、設定された問いが荒唐無稽であるからなのは言うまでもない。
次に、議論がされ尽くしてしまい、回答のバリエーションが限られていることが挙げられる。
回答者の価値観を推し量るために、架空の状況を設定しているにも関わらず、その非日常性が日常的であるゆえに、有意な回答が得られない。
その回答がいかに限定的であるかは、専門家によるまとめを見れば一目瞭然である。
自身の価値観や思考の凡庸さを思い知らされるページだ。それぞれの回答には、専門家による見解までついている。
例えば、
・食糧
無難な回答であり、食べつくした後の事は何も考えていない。
・ライター
実際のところ、無人島で火もおこせなかったら貴方はもはや猿以下の生物である。ガス切れが心配ならレンズや火打石もいいだろう。ただ、本当にこう答えてしまったら、貴方の頭は火打石代わりに使えるほど硬いので必要ない。
・四次元ポケット
こう答えてしまうと、中身の入っていない四次元ポケットを持っていくことになる。現地の食料でも保管すればいいだろう。
など。だいたいのよくある回答は網羅されている。無人島問題の不毛さを自身の経験と照らし合わせながら実感できるはずだ。
要するに、無人島問題はそもそも問いとして漠然としすぎている。
一見すると「何を持っていくか?」に質問が限定されているようにも見えるが、逆にその他の要件が不明瞭であるため、不確定要素を仮定することに回答者の想像力のリソースが裂かれてしまう。
では、あくまで無人島問題にこだわるとして、どのような問いを設定すれば回答者の人間性や価値観を反映した答えが得られるだろう。
僕なりに考えた結果、単純に持っていくものを増やせば良いのではないかと考えた。それはこの記事のタイトルの通り。
「無人島になにか10個持っていけるとしたら、何を選ぶか?」
この聴き方ならひとつしか選べないときと違って、選んだものの間に関係性が生まれる。
その時の気分によって、組み合わせも大きく変わるだろう。
そのような回答者が選び方によって作り出す関係性こそ、その人の価値観ではないかと僕は考えた。
不確定要素を更に削るために、「あなたの身の回りのモノから〜」とするのも良いかもしれない。
まあ、何かひとつ選ぶ場合よりも、答えるのが遥かにめんどくさくなるけど…
さて、実際に10個選ぶなら僕は何を選ぶだろう?
実を言えば、僕はこの10個を選びきることがどうしてもできない。
ギター、本、iphone、タブレット……
どれを選んでも、自分が無人島で生き抜くことを諦めているような気がしてしまう。顕著になった価値観で気持ち悪くなってしまう。採血された自身の血を見たときのような気持ちだ。
まあ僕のことは置いておくとして、無人島に行くための持ち物を10個選ぶとき、あなたならどうしますか?
参考までに無人島に関する豆知識をひとつだけ紹介する。
世界最大の無人島はカナダのデヴォン島という島で、その広さは四国の約3倍である。
何しろ北極海にあるので非常に寒い。年間を通じて気温が10度を超えることは珍しく、冬はマイナス50度ほどになるらしい。
降水量も少なくて、大地は砂漠のような状態、砂埃を伴う強い風が吹いている。
まるで火星のような土地だ。実際にNASAが火星探査機を実験しているくらい火星である。
さて、これで無人島と聞いて南国の島だけを想定することも無いだろう。
改めて、デヴォン島を含めた「無人島」に持っていくものを選ぶなら、どうするだろう?
僕だったら、そもそもこんな質問をするような人間とは関わらないようにすると思う。
あなたならどうします?「こんな記事を書くお前を道連れにしてやる」とか言うのはご遠慮願うとして。
うーん。無人島問題はやはり不毛だ。