アイドルの事件に関連して、いたるところでアイドル論を散見する。
はてなブックマークの新着記事に並んだ「アイドルとは?」という文字を眺めていたら、
地下アイドルになった同級生のことをふっと思い出した。
僕が大学生の頃、地元のライブハウスをふらっと覗いたら、
中学校の同級生が地下アイドルとして出演していた。
そんなこともあった。どうしてあの子はアイドルになったんだっけ。
その日行われていたイベントはよくあるブッキングライブだった。
高校生のコピバンだとか、ゆずを湯船で薄めたような弾き語りだとか、出演者に統一感が無いことも、その演奏の内容も、まばらな客入りも、全部ひっくるめてありがちなイベントだった。
僕は友人がやっているエモロックバンドを見に行っていた。
その日の一組目の出演者が地下アイドルグループだった。
名前も聞いたことが無ければ、顔も見たことがない。何人組かも分からない。
そんなパッとしないグループの中に、僕が中学2年だったときの同級生がいた。
5人組のアイドルユニットの、左から2番目くらいの立ち位置だったろうか。
ビニールとラメの安っぽい衣装を着ていても、僕にはすぐに彼女だと分かった。
中学の頃の僕は女の子とろくに会話できなかったし、彼女はそんな僕が話したことのある数少ない中の一人だったからだ。
よく覚えてないけど、クラス委員か何かで一緒だったんだろう。
顔立ちが綺麗だったのはもちろん、なにより愛嬌があった。
それこそ僕みたいな人とでも分け隔てなく接するような子だった。
そんな彼女がステージの上で満面の笑顔で踊っている。
3人くらいのファンが最前列でオタ芸を打っていて、他の客はその様子を壁にもたれて眺めている。
1曲目の途中で僕は恥ずかしくなってしまい、バーカウンターに逃げた。
終演後に客席でアンケートを配っている彼女と目が合った。
やっぱり同級生だった。たちまち真顔になったあたり、彼女もすぐに気づいたようだった。
それからちょっとだけ立ち話をした。
・大学に通って、就職も決まっていたころにスカウトされたこと
・もともとアイドルは好きだったし挑戦したかったこと
・その日はイマイチだったが、じわじわと人気も出てきていること
・今度、その子のソロライブもあること
などなど。
その日のライブの感想を聞かれて、僕が途中で逃げたことを正直に詫びた。
「今は一人でも多くの人に知って欲しい、笑顔にさせたい。今度は恥ずかしがらないで見て欲しい。アイドルのライブは非日常の場所、偏見を持たないで見てくれたら、絶対楽しいはず。」
そう語る彼女はもう同級生じゃなくて、その道で食っていく覚悟をもった地下アイドルだった。
紋切り型のセリフでも、アイドル衣装を着た子に直接言われると説得力があった。
彼女のライブを見なかった自分が恥ずかしくなると同時に、彼女の語った思いで少し元気になれた。
ソロライブには行けたら行く、Facebookで申請を送る。頑張ってほしい。
僕は彼女にそう伝えて僕の日常に戻っていった。
次の日起きたときには、同級生に語られた夢やアイドル論なんてすっかり忘れていた。
もちろんそれっきりライブにも行かないかった。連絡も取らなかった。
でも、僕は彼女のことを時々思い出す。
彼女のソロライブは成功して、
そのちょっと後でグループは解散した。
彼女は今でもアイドルをつづけている。
地元密着で、そこそこお仕事もあるようだ。
そういう活躍を知って、僕はちょっとだけ元気をもらう。
このたびのライブハウスでの事件は、本当に痛ましい。
「出演者がお客さんを笑顔にして、元気をもらったお客さんが出演者を応援する。」
この構造が、目に見える形で壊されてしまった。僕はそれが一番悲しい。
事件に関して、「アイドルとファンの擬似恋愛」という枠組みが使われるのは当然だと思う。
これが全てのアイドルやバンドには当てはまるわけではない。
でも、そういう枠組みがあることは真実だし、視点を変えれば表現をする人たち全体に当てはまることでもある。
だから、この枠組が用いられた批判する人や納得する人を責めることは少なくとも僕にはできない。
だけど、ライブ・「現場」の根底には、もっとシンプルな、本来誰も不幸にならない関係性だってある。僕の同級生が語ったように。
あの子が夢を与える場や関係性が続くことを、僕はぼんやりと祈っている。