特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
10代で『ライ麦畑でつかまえて』を読んだかどうかで、人の成り立ちは大きく変わる。
目の数や口の数すら共通点にならないくらい、ホモサピエンスと呼べなくなるくらい差異が出る。
青と白の表紙、ふざけたようなピカソの絵、
それを開くと1人の少年、ホールデンコールフィールドの独白が始まる。
彼が通う高校のクソッタレさと、そこから脱出したあとの世界のインチキさについてだ。
いささか古臭い言葉遣いと、彼が見たアメリカの大都会のインチキさに、15歳の僕はすっかりノックアウトされてしまった。
J.D.サリンジャー原作、野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』はこの世で最も青春くさい小説のひとつと言って過言ではない。
この本に関して言えば、村上春樹訳はオススメしない。装丁もクールだし翻訳もアップデートされているが、野崎孝が訳すホールデンの言葉の無骨さには敵わない。
村上春樹のホールデンは若干、「大人」であるのに対して、野崎孝訳はまさに青春だ。
僕が野崎孝訳から入ったせいかもしれない。
この本は10代で読まなくちゃいけない。できれば、15歳がいい。
それより遅いと、ホールデンが裕福な子供に見えてしまう。
具体的な内容を話すことはできない。しかし彼は10代の少年を救うために、今も本の中にいる。
彼は、クソッタレでインチキなこの世界から、僕たちを守る存在だ。
そして、読者が望めば、少しだけ僕らの心に住み着いてくれる。彼は家賃を払う代わりに、僕らにイノセントと大人のインチキについて、教えてくれる。
維持費は特にない。時々『ライ麦畑でつかまえて』を読めばいい。
彼の語るインチキが、子供のワガママに見えたとき、それは僕たちが大人になったことを意味する。
僕の周りにも何人かそんな奴がいる。
彼らは崖の上から落ちたのだ。
そして僕は、その姿をホールデンと一緒に眺めていた。
これが正しいことだったかどうか、僕にはわからない。
そんなときに、僕は『ライ麦畑でつかまえて』を読み直す。
年齢を重ねる僕に対して、ホールデンはどこまでも変わらない。
それなのに、読むたびに彼の見え方が変わる。彼の変わり方で、僕の変わり方がわかる。
ホールデンは、僕にとってのメートル原器のようなものだ。
経験から言って、『ライ麦畑でつかまえて』を10代で読まなかった人とは、あまり仲良くできない。
そして、10代でこの本のフォロワーになった人は、クセが強くて仲良くなれない。
いっそ崖から転落死してたらともかく、そんな奴に限ってこちら側に残っている。同族嫌悪だ。
結局のところ、僕たちは自身の力で世界に立ち向かわねばならないし、そのとき土台になる一冊が『ライ麦畑でつかまえて』だと思う。
もし、大学時代にフットボールをやってる奴がバーに入るたびに憎悪したり、身近な奴にクリップを投げつけるような人間を、
『ライ麦畑でつかまえて』が土台の人間と呼ぶのなら、
僕がまさにそうだ。
っていうかamamonのリンク、ピカソの絵、無くねぇ!?