長崎へ帰省する飛行機の中にいる。
伊丹空港から長崎空港へ向かうJAL便。少しこじんまりとしたジェット機で、少し狭い4列シートに座っている。
飛行機には乗り慣れたつもりだったんだけど、それでも機体がガタガタと震えながら地面から離れるあの瞬間はドキドキする。
よくもまあ、こんな大きいものを飛ばそうと本気で考えるよな。
飛行機の上から、小さくなっていく大阪を眺める。それが神戸の海岸沿いに連なる人工島の鳥瞰図に変わり、垂水や須磨の山の中、大学のあった西区のそれに移り変わっていく。
「いまはこの辺りだろう」と検討をつけて眺めているうちに、似たような風景の連続に、自分がいまどこを見ているのかわからなくなる。
畑や田んぼの連続、山の上のテニスコート、用水池。再び海岸沿いに目を向ければ防波堤の先に、(地上で眺めるよりいくぶん青く、綺麗な)海が広がっていて、白く細長い線を描きながら船が行き交っている。
地上の上の僕たちは、思いの外あんなところやこんなところに足を広げて生きている。
よくもまあ、こんな大きな土地を、海を、隅々まで活用して住もうと本気で考えるよな。
そういえば、飛行機の上から見た地上の風景で忘れられないものがあった。いや、忘れていた。
正確な言葉を探せば、「忘れていたけれど、思い出さざるを得ない、時々頭をよぎる風景がある」ということになる。
ロシアの上空で見た一面の雪景色・雪山と、その中に光る人里について。
2011年3月、トルコ旅行で乗った国際便での話になる。僕は大学三年生で、高校を卒業したばかりの弟と、10日間ばかりのツアーに参加した。
関西国際空港からウズベキスタン航空に乗り、タシケントで乗り継いで、イスタンブールに向かう。
17〜8時間くらいのフライトだったと思う。もっとかかったかもしれないし、もっと短かったかもしれない。
そのときは国際線はもちろん、飛行機に乗ること自体が本当に久しぶりだった。かなりウキウキしていた。
元来、ひとり遊びや読書が苦ではない性格で、それに飽きて寝ることももちろん大好きだ。だから長時間飛行機に乗ること自体はさして苦ではなかったし、むしろ楽しみだった。
ウズベキスタン航空、という聞き馴染みのない航空会社であることがまたいい。
知らない目的地に、知らない中継地、知らない航空会社。文字どおり非日常への旅だった。
(ちなみに後から知ったのだが、ウズベキスタン航空は2011年当時世界でもワースト3位に入るサービス、トルコの現地ガイド曰く「飛べばラッキー」らしい)
もっとも、飛んでしまうと、それが思いの外退屈な乗り物であることに気づいてしまう。
はじめのうちこそ、大学で使っていた参考書と、村上春樹の『雑文集』、それといくつかの文庫本をローテーションしていた。しかしまあ、流石に限界だった。
窓の外は数時間前から夜の闇と雲海が続き、隣の席では高校生の弟がアホ面で寝ていた。イヤホンの向こうではエンジンが轟々と唸り、時々咳でもするかのように機体がガタンと揺れる。
やれやれ。これじゃあ眠れない地上の夜と変わらないじゃないか。
俺も寝てしまおう、タシケントにつけばきっともっとドキドキするに違いない。
そう言い聞かせても、出発前に高ぶってしまったこともある。眠れるわけがない。
そんな具合で、僕は中国だかどこかの上空で、iPhone4のメモ帳にそのときの所感をガリガリと書き綴って時間を潰していた。
バターをナイフですくうように飛行機が飛んだこと、初めていくトルコにあまりに無知であること、久しぶりに会った弟と上手く過ごせるか不安であること。まだ、何も見ていない、何も経験していない状態だったんだけど。
機内食のワインで酔っていたこともあり、筆はよく進んでいたと思う。気持ちを赤裸々に書き出す必要もない年齢でも、高揚感だけは言葉になって並んでいった。
ふと飛行機の外を眺めると、雲はいつの間にか晴れていた。
そして、月明かりに薄暗く浮かび上がる、黒々とした雪景色に気づいた。
そのとき僕は、生まれて初めて地平線の先まで続く(あるいは、続いているような)雪を見た。
いや、こう書くとやや幻想的になってしまう。
正確に言えば、それは殺風景な荒野だ。雪が積もり、果てしなく白が続き、そこに葉脈のように黒くミゾが描かれている。
もしかしたら、荒野よりももっと高低差のある地形だったのかもしれない。けど、そのときの僕には荒野に見えた。
(時間が経つに連れて、あれは山々では無かったかと不安になる。だけど、この記事では"荒野"という表現で統一する。本当はどこのどんなところを見ていたんだろう?)
僕はじっとその荒野を眺めていた。
地形の起伏に合わせて、積もった雪の濃淡が変わって見えることを、そのとき初めて知った。
本当に雪に濃淡があった。山脈を描く水墨画のような、そんな筆使いによってなされているようにみえた。
誰かが、繊細な筆使いをもって、一面の雪景色にひと筆ずつ、地平の起伏を書き足しているのだ。それはときに浅く、ときに深く、筆の太さや柔らかさを意識し続ける、
どこまでも果てしない作業であるように思えた。
当然実際には逆の工程になる。地平の起伏があり、そこに雪が積もる。そもそも、誰の力を借りたわけでも、意図が含まれたわけでもなく、成されたものなのだ。
しばらく呆然と地上を見下ろしていた。
次第に、じんわりとした驚きが沁みてきた。
僕は、たまたま窓の外を眺めないと、こんな景色があることすら知りえなかったことに驚愕した。
そのとき僕の前に広がっていた風景は、日本のそれと対比的なものだった。
日本にいるとき、僕の立つ大地にはどこまでも人が住んでいるように感じていた。
電車の窓から、連続する街を見ているときのあの感覚を思い出せばわかる。あるいは、駅前の風景を見ればわかる。いま乗ってるJALの飛行機の足元にも、そんな風景が広がっている(ちょうど、長崎空港へ向けて着陸準備に入っている。少しずつ大村や諫早が近くなる)。
もちろん僕だって、日本にも田舎があり自然があることも知っている。北海道の田舎にだって行ったことはないし、主語を国単位に広げるほど、自分の意識が上層にあるとも思っていない。
繰り返しになるが、僕がそのとき知っていた世界に、そんな雪の荒野は存在しなかったのだ。
タシケント行きの飛行機に乗り込んだときのワクワクはもうそこには無かった。ほんの数分前までの退屈も無かった。僕自身の有無も、問題じゃないような感じだ。
荒野と、その上を静かに飛ぶ飛行機がだけが、その世界の全てであるように思えた。
30分か1時間か、僕はそうやってただ窓の外を見て過ごしていた。ゲームのワールドマップと違って、そこにはつなぎ目も、柄の繰り返しもなかった。
唐突に、僕の目にいくつかの家の灯りが見えた。それは本当に唐突に、荒野の中にぽつぽつと現れた。
僕は、それを取り留めのない変化として受け止めた。むしろ、荒野がいつまでも続くほうが不自然だったのだ。
僕の世界は、殺風景な風景によってひとつ広がった。しかし、家の灯りは今までの世界にだってあるものだった。
薄く黄色い光は、荒野に貼りついたままゆっくりと後ろに流れていった。
それからしばらくして、また再びいくつかの灯りが現れた。さっきよりも少しだけ光の面積が大きい。床にこぼれた蓄光塗料のような、片手でそっと掬えそうなくらいの小さな塊だ。
「そのひとつひとつが人の灯りである」ことに、僕が気づいたのは、それが十分に遠くになってからだ。
先ほどの驚きとおなじように、じんわりとやってきた。
繰り返しになるが、僕は本当に知らなかったのだ。想像できなかったと言ってもいい。
一面の荒野があることも。そして、そんなところにだって本当に人が住んでいることも。
もちろん日本の夜景だって、非現実に感じるときはある。眼下に広がる街灯りと、それが人間の営みに結びついていること。そして、少し離れてみると、その結びつきが希薄に感じられること。僕が飛行機の上で知った感覚は、確かに似ている。
だけど、そのときの感覚は、本当に僕が想像できないところからやってきたのだ。
はじめに、人の手が及ばず僕の想像力が及ばない広大な雪の荒野が広がる。僕にとっての、新たな現実を認めるところから始まる。そして、そこに人の手が及んでいることを知ることで、今知った現実の一部をさらに否定することになる。
その過程の中で僕は僕自身の経験の中で共通点を探し、その共通点と現実との距離感を測ることで、それらが新たな現実であることを痛感する。
よくもまあ、こんな寒いところに、こんなに細々と住むよなあ。
と感心する。僕には無理だ。身体的にはもちろん、想像力の問題として。
その後到着したタシケントの空港もそれなりに当時の僕には刺激が強かった。
銃を持ったウズベキスタン人に囲まれて空港内を移動したこと。彼らを撮影すれば没収されると脅されたこと。妖精のような白人の女の子を見たこと。テレビが日本製でなく、サムスン製だったこと。思いの外空港が狭く、乗り換え待ちが退屈だったこと。
それらは十分に刺激が強かった。旅の目的地のトルコも含めて。
それらはLEDのイルミネーションのように、目をつむっても、時が経っても、ひとつひとつの風景や感情が鮮烈に頭に残っている。
まだ覚えているうちに、できるだけ分かりやすい言葉で、細かく書き留めておければと思う。時間のあるときに。
その鮮明な思い出と対照的な、あの薄暗い荒野と、そこに光るぼんやりとした人灯りは、飛行機に乗るまですっかり忘れていた。
ぼんやりと思い出すこともあったはずなのに、書き留めたいとすら思わなかった。
文字を書きながら、追体験するとそのときの僕には衝撃的だったはずなんだけど……
もしかしたら現実の捉え方や体の動かし方として、僕の一部になっていたのかもしれない。体験としての記憶は、しまいこまれていても。
そうだったら素敵だけど、ありふれた日々のように、忘れていただけだとしたら。どこかに隔絶されていた記憶なのだとしたら。
そんなことを思いながら、このまとまりの無い文を書いた。
たぶん、これからも、忘れていたことを掘り返すような記事を書いていくと思う。