そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

OLYMPUS E-M1 Mark II Ver3.0は細かい不満点を改善する神ファームウェアアップデート

OLYMPUS E-M1 MarkIIのファームウェアがVer3.0にアップデートされた。
2016年12月の発売から約2年半、一眼レフ上級機に真っ向から対抗するスペックかつ、マイクロフォーサーズのミラーレスだからこそできる便利機能てんこ盛りの名機が、また進化した。
今回、E-M1 MarkIIをVer3.0にアップデート後、数日使った段階での印象をレビューしてみる。

E-M1 Mark II Ver3.0の進化点

まずはE-M1 MarkIIのVer3.0の追加/改善項目を確認する。

 

 

C-AFならびにS-AFの性能向上
C-AF中央優先、C-AF中央スタートを追加
AFターゲットモードに25点グループターゲットを追加
C-AF+MFに対応
AF低輝度限界が-6EVに向上
低感度画像処理(解像優先)を追加
高感度時ノイズの改善
OM-Logを追加
LVブースト[On2]に「LV表示速度優先」を追加
深度合成の機能強化(撮影枚数が3~15枚から選択可能に。ガイド線表示も追加)
ISO L100(ISO100相当)を追加
アートフィルターに「ネオノスタルジー」を追加
Olympus WorkspaceのUSB RAW編集機能に対応(USB接続でのカメラRAW編集機能に対応)
カード書き込み中の設定変更や再生表示に対応
クイック画像選択を追加
フリッカーレス撮影を追加

https://olympus-imaging.jp/product/dslr/em1mk2/ より引用) 

 

全16項目・・・いや、多いわ。

もっとも、大部分の機能はE-M1 Ver3.0のために開発されたものではなく、 最新機種のE-M1Xに導入されていた内容である。
E-M1XはE-M1 MarkIIを大型化し、画像処理エンジンを2基搭載することでそのパフォーマンスを向上させた機種であっただけに、

なんでE-M1 MarkIIでも普通に使えるねん!E-M1Xはなんなんやったんや!

と感じる機能が多い。いや、ありがたいんですけどね。

 

細かいアップデート内容は説明書必読!

上記のページで確認できる以外にも、説明書によればさりげなく追加される機能や仕様変更があった。

例えば、Mモード時に露出補正が設定できるようになった。
[設定]→E1 ISOオート有効をALLにし徹底し、ISO感度をAUTOにした状態で、いずれかのボタンに露出補正機能を割り当てることで使用できる。

また、記録設定が自動切替に設定している場合に、1枚目のカードの最後と2枚目の先頭を自動的に切り替えて再生してくれるようになった。

詳細は説明書のVer3.0の項目に書かれている。

E-M1 MarkII Ver3.0説明書→https://cs2.olympus-imaging.jp/jp/support/dlc/archive/man_em1m2_ver3.pdf(4MBほど)

では、実際にどの程度進化したのか見ていきたい

 

E-M1 MarkII Ver3.0の実際に確認できる進化

 AFの改善・・・よくわからない、縁の下の力持ち的な改善?

今回のE-M1 MarkII Ver3.0のアップデートでは、特にAF回りの改善が多く導入されている。

E-M1 MarkII Ver3.0のAFの進化

AFアルゴリズムが、S-AF、C-AFともに一新されたため、動体撮影静物撮影ともにさらに便利になったほか、グループAFの25点モードの追加、フォーカスリングでのMF切替、低輝度限界の幅の向上など。
というか、マジでE-M1Xはなんだったんだ(たぶん。デュアル映像エンジンでさすがにE-M1Xのほうが追従性が高いとかだと思う)

 

ただ・・・ごめんなさい、まだ動体撮影を試せてません!よくわかってない!

そもそも、E-M1 MarkIIはただでさえAFが早い機種ということもあり、普段使いする上では大きな向上を実感することもなく…
S-AFに関しては、若干迷いが減って安定したような感じがする。室内でさっと物を撮るときなんかにうれしい。

価格.comのレビューなどではC-AFの劇的な進化を主張されている方がいるけれど、AF速度に関しては自分がいつも撮っている被写体でいつも通り試してみないと分からないところが多い。
ただ、モータースポーツや鳥撮影のようなAFを限界まで使う被写体でなくとも、基本のAF性能が上がっていることで、街撮りが多い僕のような人間にも恩恵は回ってきているように思う。縁の下の力持ち的に。
機会があったら動体も撮影してみたい

カード書き込み中の設定変更・再生表示

これは本当に偉い!天才!賢い!オリンパス!よくやった!最高!すごい!
「なんで2年もかかったんだよ!この粉飾決算!」そんな文句、絶対に言えない。つけてくれただけでうれしい!

いや、今までE-M1 MarkIIってとにかくカード書き込み中の動作がストレスだったんですよ。
このカメラのメリットのひとつはなんといっても連写にある。連写モードでアホほど撮りまくって、決定的な瞬間を収めたとする。
一呼吸置く間に連写を解除して、別のモードに戻し、なおかつ今しがたの撮影分をチェックしたい」っていう一連のムーブ、どんな撮影でもあると思う。
でも、これまでは連写後ってカメラが実質フリーズのような状態になっちゃって、どう頑張っても書き込みが終わるまで3~4秒待たないといけなかった。

そこそこ高速のUHS-II対応SDカードでもそうだったので、E-M1Xからこの機能が下りてきたと聞いて本当にうれしかった。
というか、E-M1Xの説明会で「エンジンが2つだからできるようになったんですよ~!」と社員の方が言ってた気がするんだが、アレはなんだったんだ。

 SDカードの話題からTranscendに無理やり言及するけど、
先日AmazonでSDカードを買うときに呟いたら

 

クイック画像選択

これも同じく連写に関連する新機能。
再生表示画面で、「シェア予約」「消去」などのチェックをつける際に、ダイヤル操作で一気に選択できるようになった。

E-M1 MarkII Ver3.0のクイック画像選択

いや、E-M1 MarkIIではよくあるんですよ、うっかり連写モードのまま撮っちゃって、同じラーメンの画像が30枚SDカードに溜まったり。あるよな?僕だけじゃないよな?
そういういらない画像を消す際、これまでは1つずつポチポチとチェックしていたんですが、その動きが「ボタン長押し+ダイヤル操作」に簡略化された。

ダイヤルは前後どちらのダイヤルでも操作できるが、ズーム操作にに対応させているダイヤルを使うと、操作ミスで画像がデカくなったりカレンダー表示になってややストレスがある。
また、「一度にチェックをつける」「一度にチェックを外す」のどちらか二択の動きしかできない(=一回のボタン長押しに対して、チェックをつける・外すのどちらかしか動きがない)ので、その辺りは注意。パソコンのctrl+矢印キーのような動作をするわけではない。

 

wifiでO.I Share(アプリ)にRAWを飛ばせる

E-M1 MarkII Ver3.0からスマホアプリOLYMPUS IMAGE SHARE(O.I.Share)を経由して、スマートフォンにRAW画像を転送することができるようになった。

この機能、アップデートの機能一覧・説明書からは完全に省略されていて、マジでさりげなく導入されていた。

なんで!?めっちゃ便利じゃんこれ!教えてよ!

 

使い方はこれまでの画像転送と同じです。アプリトップ画面右上の歯車マークから

[歯車マーク]→[写真転送]を選択し、RAW画像を表示することでRAWを選択できるようになり、カメラからスマートフォンにRAWを転送できるようになる。

O.I.ShareでRAWをwifi転送

容量が全然違うのでjpegよりは時間がかかるものの、問題なく転送することが可能だ。
もちろん、lightroomで開いてRAW編集ができる(Zenfone 5Z Android9.0にて対応確認)

いや…めちゃくちゃ便利じゃん、これ。


っていうか、マジでいつの間に導入されたの!?今までこんなのできなかったよね?
と気になったので、オリンパスのチャットサポートに問い合わせてみることに。

 

O.I Shareの対応について問い合わせ

チャット対応、これも便利やんけ…

まとめると、

  • 5月のO.I ShareアップデートでE-M1Xに対応
  • E-M1 MarkIIにはVer3.0から対応
  • よって現在の対応機種はE-M1X、E-M1 MarkII Ver3.0の二機種のみ

とのことである。だから、実質Ver3.0の新機能だ。

 

いや、教えてよ・・・

こんな素晴らしい機能なら、ぜひ告知してよ!!!!!

 

ちなみに5月のアプリアップデートでの説明文は「新しいカメラに対応しました」しか書かれてなかった。
この説明文もうちょっと丁寧に書いてよ!E-M1Xユーザーも知らんのちゃうか・・・

 

これまではRAW編集しようと思うとスマホにSDカードリーダーを差すしかなかったので、非常にいい改善だと思う。
これで撮影帰りの電車の中や、休憩中のカフェでのRAW編集がはかどるようになった。

 

 

ネオノスタルジーが楽しい

E-PL9にて新搭載されたアートフィルター「ネオノスタルジー」がE-M1 MarkII Ver3.0にてようやく導入された。いや、待ってた。これ本当に待ってた。

 

インスタントフィルムのエフェクトとしてかなりベタだと思うものの、これまでのアートフィルターには無い色合いなので気に入っている。露出やWBによってわりと色合いが変わるのでこれからもっと楽しそう。

 

E-M1 MarkIIには、過去にも「ブリーチバイパス」という激エモアートフィルターが追加されたことがあるので、今回で二回目のアートフィルター更新である。こういうのは素直にうれしい。わかりやすくやれることが広がる。

(ブリーチバイパスについてはTKLさんの記事が大変にエモい。lightroom用プリセットもある)

E-M1 MarkIIでアートフィルターって使わない人は全く使わない機能だと思う。

実際、上級機にも関わらずモードダイヤルのひとつが「ART」で埋まっているのは無駄ではないか、という批判もよく聞く。E-M1 MarkIIを使う層の人たちはlightroomでRAW現像しちゃうし、撮って出ししか使えないアートフィルターは片手落ちだという指摘ももっともだと思う。

アートフィルターを掛けて録るのはいいぞ

ただ、個人的には最近アートフィルターを多用・かけっぱなしにして撮影をすることにしている(主にブリーチバイパス)。
なぜならシャッターを切る段階で、仕上がりのイメージを強制的に見ることができるから。

「シャッターを切る前に現像でどう仕上げるか考えろ~」という意見をよく目にするけど、僕のような想像力が貧困なカメラはオモチャ勢からすると、どうしても無理がある。

実際にシャッターを切る段階ではカメラの露出やピントの撮り方で精いっぱい。
とりあえずi-finishで撮って、lightroomで編集する段階で始めて、

「うーんやっぱり彩度は落としたほうがいいな~カスミの除去マシマシやで^q^」

みたいなあれやこれやをやりがちである。何を作るか決めないでとりあえずスーパーで特売品を買いまくって、帰ってきてから途方に暮れるようなものである。ある程度料理スキルがある人ならば、この買い方のほうがお得ではあるかもしれないが、慣れない人は結局食材を冷蔵庫で腐らせるだけだ。


ならば、いっそのことあらかじめ好みのアートフィルターを掛け撮りすることで、自分の写真の方向性を決めてしまったほうが、変数が少なくて迷いが減ってよいのではないかと考えた。
僕の場合は、だいたいが低彩度でシャドーに少し青を混ぜたり、あるいはVSCOをかけてフィルムっぽさを出す色合いが好きである。
前者は「ブリーチバイパスII」を掛け撮りすることで実現ができるし、後者のフィルム風を撮るためのネオノスタルジーをずっと試したかった。
もちろん、これは補助輪付きで三輪車に乗っているようなみょうちきりんな段階ではあるので、いずれは脱したい。
それでも、アートフィルターのおかげでシャッターを切るハードルがずいぶん下がるので、助かっている。

 

 

イマイチな点

ここまでは良い点もあるが、逆に改悪だったりイマイチだったり、なんでこれを実装しなかったのかと頭をひねりたくなるものもある。

 

バリアングル展開中のアイセンサー作動

これはカタログにてさりげなく追記された一文。E-M1Xの仕様に合わせたもの

E-M1 MarkII Ver3.0のバリアングル


従来は、バリアングルモニターを開いた状態ではアイセンサーがオフになっていたのだが、仕様変更によりモニターを開いた状態でもアイセンサーによってモニターとファインダー表示が自動で切り替わるようになった。
メニューから元の仕様に戻すことはできない。

これ、マジでバカじゃねえの?

なにが困るって、ウエストレベルにカメラを構えたときに、アイセンサーが体に反応してモニターがオフになっちゃうんですよね。

 で、アイセンサー自体はこの通りそこそこ機敏に反応してくれる。やめてくれ。

例えば、手持ち長秒で撮影するときに、自分の体にボディを押し付けて手ブレを減らしたいっていうシチュエーションもあるし、ウエストレベルでバリアングルを見ながら微妙な画角を調整したいときもあると思うんです。
そういうときに、いきなりセンサーが反応して画面がブラックアウトするってそこそこストレスですよ。

しかも、元の仕様に戻すことはできず、現状では

  • 新仕様のままアイセンサーを使う
  • アイセンサーをオフにしてボタンにEVF切替を割り当てる

しか対応策が無いのである。
しかも、E-M1 MarkIIって電源のオンオフがパっと見で分かりにくいので、EVFに切り替わっていると気づかないんですよね。きっつー。

こっちの仕様のほうが便利だという人も当然いるんだろうけど、もう少しなんとかならなかったのだろうか。
いきなり仕様変更するにはちょっと影響力が大きすぎる。せめて選択させてほしい。

 

USB-RAW編集は便利だけど電池残量が心配

デスクトップアプリ、Olympus WorkspaceとE-M1 MarkIIをUSB接続し、TruePicⅧを使ってPC上でRAW現像ができるようになった。
先行していた富士フイルムのX RAW STUDIOに類似したシステムである。

使い方は簡単。

 

1.まず、こちらのサイト(https://support.olympus-imaging.com/owdownload/download)より、Olympus Workspaceをダウンロード・インストールする(ダウンロード時にカメラのシリアルが必須となる)

 

2.電源をオンにしたE-M1 MarkIIにUSBケーブルを挿し、メニューからPC RAWを選択

(電源表示がパーセントじゃないのは、非純正バッテリーを使っているため

 

USB-RAW編集メニュー

 

3.Olympus Workspace上にダイアログが出るので、今すぐ開始を選択

 

USB-RAWの確認

4.SDカード内の画像orPCのディスク内の画像を選択し、表示する。

Olympus Workspaceの画面

あとは右側の現像メニューでいじるだけです。簡単ですね。
現像メニューはこんな感じ。よくあるやつです。

Olympus Workspace 現像画面

 

一点注意する点があるならば、このUSB-RAWモードで調整できる設定は、カメラ内RAW現像で使用できるパラメーターと全く同じである。(ただし、クロッピングは自由にできる)


したがって、Olympus Workspace単体で使用できる「かすみの除去」「明瞭度調整」などは使用できない。
USB-RAWで調整後の画像はjpegで書き出されてしまうため、上記の機能をRAWに適応したい場合は、USB-RAWの使用自体をあきらめなければならない。

各パラメーターをいじった際の画像への反映は僕の環境だとワンテンポ遅く感じる。
画像の書き出しはカメラ内RAW現像とほぼ同じくらい。
正直、adobeの奴隷になっている今の環境だとあまりメリットを感じない機能ではある。

それでも恩恵を受ける人は多いと思う。

  • 現在adobeのプランに契約していない人
  • 大量のRAW画像に一度にプリセット適用する処理をする人
  • ややスペックが不安なノートPCなどで、RAW現像をしたい人
  • USB給電がされずPCにつないでいる間、着実に消耗していく電池の表示を見てもあせらずに冷静にRAW現像ができる人

などにオススメだ。
個人的にはアートフィルターをカメラを使って処理できる点は魅力的だと感じているものの、給電できないデバイス(=E-M1 MarkII)に依存したRAW現像は僕の使用環境ではあまり使い道が無いように感じた。
撮影で電池を使用し、RAW現像でも電池残量を使用するって、ちょっと精神衛生によくない。

 

 

 

ちなみに僕は非純正のバッテリーを使ってるが、いまのところまだ爆発していない。

 

マイメニューはまだか?

なんでE-M1Xのカスタムメニューが搭載されなかったんですか?💢💢

 

マイメニュー

E-M1 MarkIIと言えばボタンのカスタムやメニューによる拡張性の高さも人気のひとつである。一方で、階層が深く迷宮のようなメニュー画面の奥底で、しばしば遭難し死ぬユーザーも少なくなかったという。
そんなユーザーのためにE-M1Xで導入された救世主的機能がこの「マイメニュー」である。

E-M1Xが発売されたとき、E-M1 MarkIIユーザーは歓喜した。

「AF改善や書き込み中再生や手持ちハイレゾはハードウェア由来の部分もあるだろう。だが、マイメニューならすぐにでもアップデートに乗るはず・・・!」

 

結論→アップデートされませんでした。

前述のアイセンサーの修正と同様に早く導入されればいいなあと思っている。

 

 

アップデートでまだまだ使えるE-M1 MarkII

改めて、今回のVer3.0へのアップデートを経て、E-M1 MarkIIはまだまだ現役バリバリで使えると痛感した。

そりゃ最近乱発されているフルサイズミラーレスや競合他社に比べると、そろそろEVFも背面液晶も見劣りするし、瞳AFもついているけど地味だし、AF用のスティックもついてない。
しかし、進化の著しいミラーレス一眼の中で、ファームウェアのアップデートのみで競合他社とタメを張ってぶん殴り合いができるのはこのE-M1 MarkIIの完成度の高さゆえに他ならない。
ミラーレス、マジでコロコロコミックのホビー漫画みたいな頻度で新機能を持った道の新機種が出てくるからな。

最近、そろそろ観念してα7IIIに乗り移り、どや顔で小指を余らせようと思っていた僕も、E-M1 MarkIIとまだまだやっていこうと冷静になれた次第である。

 

 

今夜はひさしぶりに、E-M1 MarkIIと一緒にシャワーでも浴びたいと思う(オリンパスは防塵防滴だからカメラと一緒にシャワーを浴びることができる)

母を捨てる決断をした話

人生は迷いと決断の連続だ
僕たちはたくさんの可能性の中から、今の自分を選びとってきたのだ

僕はこういうきれいな一般論があまり好きではない。

人生は景気のグラフみたいに迷いと決断が入れ替わり連続するものではない。
30年に満たない僕の浅い経験を振り返ってみれば、むしろ迷いだけがただひたすらに続くものではないか。少なくとも、僕自身はそうだった。
迷って迷って迷い続けて、たまたまやけくそになった瞬間を「決断」だと錯覚している。そんな人生だった。決断とは僕にとって、その場の錯覚だったわけだ。

もっとも、そんな錯覚をしてきたということは、こんな僕にだって自分で決断したと思えるような人生のターニングポイントがあったことになる。
そのひとつが「母を捨てる決断」である。
姥捨て山に不法投棄してきたわけではないから、それほど重い話ではない。
父と母の離婚話の折、自らの意志で父方を選んだというだけだ。
どこにでもある話ではあるが、それでも僕の人生の転機だったと思う。今思い返せばの話ではあるが。

 

母親が出て行ったのは、僕が小学校三年生の夏だった。
僕と、2つ下の弟が学童保育から帰ってきたあと、母親は僕たちと入れ替わりで家を出て行って、それっきり帰らなくなったのだ。
汗だくの体でリビングのエアコンの前で涼んでいると玄関で母親が出かける支度をする音が聞こえてきた。

リビングのドアから顔を出し、どこにいくのか尋ねたところ、
「ちょっと買い物にいってくる。あんたたちも来る?」と母親は応えた。
日が落ちる前の時間帯で外はひどく暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。留守番をしている、と僕たちは返した。

 

それが母親と僕が面と向かって会話した最後の瞬間だった。
その日以来、母親は帰ってこない。
家を出るときに母親がとりたてて大きな荷物を持っていたイメージはない。父親が後から荷物を送ったというわけでもない。母はただ家から出て行ったのだ。
ずいぶん長い買い物である。

 

父親が帰ってきたのは20時ごろだった。
母親がいっこうに帰ってこないので、買い溜めしてあったレトルトカレーを食べるか迷っていたところだった。
「お母さんは買い物に出かけてる」と父親に伝えた。そのときの父親の表情はよく覚えていない。
翌日の夜に、「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に告げられた。

数日後、改めて父親と今後について話した。休日の昼間だったと記憶している。
子ども部屋からリビングに呼び出され、父は少し躊躇いながら僕ら兄弟に尋ねた。

「お前たちはどうする?お母さんについていく?」
父と母だけで、子供に見えないところでやり取りがあったのだろう。

僕と弟は間髪入れずに「お父さんについていく」と応えた。
弟と示し合わせたかどうかの記憶はない。
ただ、子どもながらに、「父親は家に住んでいて、母親は家を出たこと」「父親は仕事をしている、母親はパートタイムで働いていること」を天秤にかけたことは覚えている。父と母がもう一度暮らす選択肢が無いことはわかっていた。
そして、自らの環境を変えてまで、母親についていきたいとは思えなかったのだ。

 


以来、母には会っていない。
九州に住む母方の祖父母は、”子供を投げ出した娘”として母を勘当したという。
特に祖父のほうは昔ながらの妙に頑固なところ、感情的になりやすい気質があったためそういう流れになったのだろう。
祖父母は離婚後しばらくは手伝いで家に来てくれたり、僕たちも長期休暇で帰省することもあったが、そのうちに疎遠になってしまった。
祖父母がいるときには、できるだけ母の存在はなかったものとして扱われた。祖父母がいて、父がいて、僕と弟がいる。写真に写った誰かの顔を塗りつぶすように。

それからは父と弟の3人家族になった。
僕と弟は学童保育に通い、父は残業を早めに切り上げて僕たちに男料理を作ってくれた。それでも遅くなる日は、買い溜めてある冷凍食品を食べた。中学に上がるころには、自然と自分で料理を作ることも覚えた。
当然、育っていくにつれて父との軋轢などもあったが、それでもどうにか僕も弟も大学まで卒業させてもらい、社会に紛れ込んで生きている。
離婚後、何年かあとで父に交際相手ができたが、それでも3人家族なのだという実感があった。自分には母親という存在など、初めからいなかったと思うときすらあったし、今でも基本的なマインドとしてはそうだ。父と母の離婚は、履歴書に書くような生育の設定だとすら感じるときがある。

 

昨年、母方の祖父が死んだと、祖母から連絡があり、その際に久しぶりに母についての話題が出た。

何年か前から祖父は持病の悪化で入院しており、昨年の8月に亡くなった。
晩年の祖父は生来の偏屈をこじらせ、「葬式はいらぬ、戒名はいらぬ、死んだことを誰にも伝えるな」とわめいていたという。
彼の願いは聞き入れられなかった。祖母は、僕の母と二人だけでささやかな葬式をやり、四十九日が過ぎたこともあって僕に伝えてくれたのだという。

電話口で、祖父の偏屈をひとしきり笑い合ったあと、祖母はぽつりと言った。
「今でも、あんたのお母さんに会う気はない?」
「いや、無いわ。お金くれるなら考えてもええけど」と僕は返事をした。笑いながら応えた。そうか、と頷いたあと、祖母はそれきり母の話をしなかった。じいさんの墓参りだけでもしにいくよ、と言って僕は電話を切った。
母の居場所は知らない。ただ、まだ母は生きていて家族とつながっているんだな、と感心をした。僕が母無しで生きてこれたように、母も僕無しで生きていけたのだ。

 

電話を切ったあとで、自分は母親を捨てる決断をしたのだと気が付いた。
母親ではなく、父親についていく人生を選ぶ決断。
母親を捨てて、いないものとして生きていく決断。

 

そんな決断は、「お父さんについていく」と応えたあの瞬間に生まれたのではない。
では、いつ生まれたのか?
おそらく、僕が母親を捨てたと気が付いた瞬間にその「決断」が生まれたのだろう。
僕にとっての「決断」はその場その場で選び取る判断ではなく、過去に意味をつける行為だったのだ

 

父を選ぶ選択そのものは、僕が人生において当たり前のように通り過ぎてきた事実にすぎない。
幼稚園を卒業して小学校に入学し、その後に父と母が離婚して父方についていく。3人家族でなんとかやってきていく
江戸時代のあとに明治時代がくるように、これが僕にとって極めて自然な流れだったからだ。
もっとも、僕は父に養われて育ちながら、母に会い続ける選択肢だってあったはずだ。
しかし、結果として僕はそれを選ばなかったし、これからもおそらく選ぶつもりはない。

僕は母を捨てた。そう言い切ってしまうことで、僕の選択は決断となる。
人生は迷いと決断の連続ではない。僕にとっての人生はそうではない。
僕たちは迷い続ける人生の中で、ときどき過去を振り返る。過去に意味付けをして生きている。預金通帳を読み返すように。

そして目に留まったその時々のターニングポイントを「決断」だと思い込んで、自分の過去を肯定してなんとかやっていく。その決断は杭のように打ち込まれるのではなく、未来に向けて連続した指針としての決断である。

 

そう言い聞かせて、明日もなんとか迷い続けていきたい。

 

※父母の離婚については、以前にはてな匿名ダイアリーに投降した記事を元に書いています。
https://anond.hatelabo.jp/20180918233915
祖父が死んだ連絡を受けたのはこの増田を書いた一か月後くらいだった。墓参りにはまだ行けていない。